お茶充生活

茶道の日常的な楽しみ方や和室でのマナー、妊娠・育児についてゆるく書いていくブログ

出産の日:破水、手術、ベッドなし

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長かった妊娠生活に、ついに終わりが来ました。出産です。

当日はもう生まれるまでも生まれてからも、ずっと戸惑い続けた記憶があります。

今回は少し長くなりますが、その数時間の流れを順を追って書いていきます。

 

 

破水は思ってもみないタイミングで

前回の記事で書いたように予定日前に陣痛らしきものを感じたのに実は陣痛でもなんでもなかった事件を受けて、私は完全にふてくされていました。陣痛のために気を張るのをやめ、完全に普通の生活をしていたところ、夕食を作り終えた時に下半身に水がつたうのを感じました。

 

……おりもの?それとも尿漏れ?妊娠後期になると尿漏れに悩む妊婦さんは少なからずいるみたいですが、私は一回もなったことがなかったので、まず戸惑いました。おりものにしては量が多いし、でもお腹に力入れたとか訳でもないのに、いきなり尿漏れするか?昨日の健診で「当分産まれない」って言われたんだから、破水はないよね?

 

一応お風呂場へ行って確認すると、おりものシートで吸いきれなかった水分がぎりぎり下着やズボンについているくらい。破水はバシャっとバケツの水をこぼしたようになる人もいれば、高位破水といって子宮の上の方が破れたことで、少しずつ羊水が出てくるパターンもあるということは調べてありましたが、どちらにも当てはまらないような中途半端な量です。

 

尿漏れと破水の1番の違いは臭いだそうなので、一応嗅いでみると、特に臭いがしない。でもたまたま臭いが薄いなんてこともあるのかも?慌てて病院へ行って、「ただのおりものですよ」とか「尿漏れですよ」なんて言われた日には、いたたまれなさで今度こそ立ち直れないから、病院には行きたくないと思いながらとりあえず濡れた服を着替え始めたところ、パタタタタ、とまた水が出てきました。

 

いや、これはさすがにおりものの量じゃないぞ。破水かもしれないという気持ちと共に心臓の音が大きくなる中、病院に電話しました。「電話だけでは破水かどうか判断できないので、とりあえず来てください」と言われ、入院セットを持って、再び診療時間外の病院へ。車に乗り込む間にも少しずつ水が出てきているのを感じました。

 

結果は破水。このまま出産準備に入りますと言われ、お医者さんの診察を待ちました。破水から先に来ても自然分娩は可能と聞いたので、東京にいる旦那にはまだ来なくて大丈夫そうと連絡していました。

 

出産ラッシュでベッドがない

私と同じころに出産予定日の人が多いというのは聞いていましたが、その日はまさに出産ラッシュ。私が着いた段階ですでに個室や大部屋はおろか、臨時で病室にする部屋もすべて埋まってしまっており、私は陣痛室で待つことになりました。

 

陣痛室にあったのは、担架のように患者を乗せて動かせる台のみ。事情を説明され、今日の出産後はその台の上で寝るしかないと言われました。大人が1人横たわるのがやっとの幅だし、かなり固いし、お世辞にも寝心地がいいとは言えませんが、他にないのだからどうしようもありません。

 

次の日に数人退院するから、そうしたら大部屋に移れるということだったので、一晩は我慢することにしました。

 

泣きながら緊急帝王切開

エコーでお腹を確認したお医者さんは、「やはりまだ子どもが骨盤に降りてきていない。このままだと自然分娩はできないので、手術に切り替えます。」と言いました。

 

「え……手術……?」だってさっき助産師さん、自然分娩できるって言うたやん。あれだけお灸頑張って逆子治したのに、散歩もスクワットも頑張ったのに、結局手術になるの?うそでしょ?

 

信じたくない気持ちでいっぱいでしたが、赤ちゃんを無事に産みたいなら手術しかないと言われ、受け入れるしかありませんでした。「22時から手術始めて、15分後くらいに赤ちゃんが出てきて、全部終わるのは23時過ぎかな」と説明されたので、急いで旦那に電話。なんとか新幹線の終電には間に合いそうとのことでした。

 

病院についてから手術までの約2時間は、不安と緊張と落胆でもうひたすら泣きそうでした。逆子が治った時点で帝王切開はもうないと思っていたので、何の心の準備もしていなかったのです。手術の説明は以前受けた内容を覚えていたので、どんな感じで行うのか頭では理解していましたが、今から切腹と急に言われても気持ちが追いつきません。

 

何より、落胆が大きかったです。旦那が出産の立会いを希望していたのですが、帝王切開では立会いができません。一度帝王切開すると、次からも基本的には帝王切開しかないと言われていたので、もう立会いのチャンスは二度と来ないことになる。だからこそあんなに運動頑張ったのに、なんでダメだったんだろう……もっと前から頑張らなきゃいけなかった……?

 

どんどん悲しくなり、旦那もまだ新幹線に乗って向かっている中、1人で手術台に運ばれていく心細さも相まって、涙が出てきました。

 

さらに追い打ちをかけたのが、手術台に上がってからの助産師さんたちの会話。「ちょっと〇〇さん!マスク先につけなきゃだめよ!ほらこれもこういう風にして……」「あ、そうだっけ。私あんまり入らないから慣れてなくて……」

 

おいおいやめてくれよ。ひょっとして私、手術ミスでこのまま帰らぬ人となるんじゃ……私が無事でも子ども取り出すの失敗とか起こるかも……。恐ろしさのせいなのか手術室が寒いのか体がガタガタ震え、背骨に麻酔を打つ間、助産師さんに体を抑えられていました。

 

麻酔が効いてようやく寒さを感じなくなり、震えは止まりました。しかしいよいよ手術が始まり、今たぶんお腹切られてるんだなという感じがすると、目隠しの布の下でぽろぽろこぼれる涙が止められませんでした。とにかく子どもと一緒に無事なままで帰れますように、とそれだけをひたすら願っていました。

 

娘との対面<<<体の痛み

手術が淡々と進み、10分ほど経った頃、お医者さんから声を掛けられました。

 

「今から赤ちゃん出るからね。」

 

うなずくやいなや、か細い高い声が聞こえました。鳥のような鋭い音が、だんだん大きく、目の前に差し出された頃にはかなりの音量となり、手術室に響きました。

 

「女の子ですね。目がとっても大きいですよ。見えますか?」

 

すぐ横に持ってこられた娘の顔は今でも忘れません、と書きたいところですが、正直全然覚えていません。手術中の出血が多かったせいか、心臓のあたりの痛みと息苦しさで意識が朦朧とし、子どもをしっかり見る余裕もなかったのです。

 

そこから1時間ほどでようやく縫合が終わりました。「よく頑張ったね」といつもて診てくれていた院長に言われ、少しだけ何かが報われたような気持ちになりました。

 

そして台に戻されて最初の陣痛室へ。母に産まれたばかりの娘の写真を見せてもらい、そこでようやくまじまじと娘の顔を見ることができました。立会の件でまだ旦那に申し訳ない気持ちでしたが、娘を抱けて満足そうな顔を見て、少しほっとしました。

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そこからは麻酔が切れてくるとともに、ものすごい寒気と子宮収縮の痛みに襲われ、さらに台の寝心地と転がり落ちそうな不安も相まって、朝まで一睡もできませんでした。陣痛室では付添人は泊まれず、旦那と母は家に帰っていたため、ずっと娘の写真や動画を眺めることで耐えていました。

 

最後の5時間の間にすべてが始まりすべてが終わった怒涛の出産。出産はみんなそれぞれ壮絶だし命がけだと聞きますが、ガチで命の危険を感じることになるとは……。本当に、無事に生まれてくれてよかったです。ずっと痛みに耐えるので必死だったため、私が娘との対面の感動を味わう余裕が出てきたのは、産後3日目のことでした。

 

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